読書の話

(文章の話2)


活字中毒である。どこに行くにしても、必要ないと判っていても、必ずカバンに本が入っている。
字を読んでないと、何となく落ち着かない。
音楽ほどではないが、活字も生活にはなくてはならないものの代表格だったりする。

履歴書とかの趣味の欄に「読書」と書く人は結構いるだろう。
手っ取り早い趣味だし、雑誌とか読んでたって一応は読書だし。
自分の場合、本気の趣味なのでたちが悪い(苦笑)。
読んでないと駄目なんだもん、趣味っつうか呼吸と同じ…。

本(マンガも含めて)を購入すると、その本は確実に複数回読むことになる。
1回読んだだけじゃ物足りないのだ。ものによっては200回以上読んだ本もある。
そのため、基本的に図書館は利用できない(たま〜にするが)。
何遍でも読み返し、読みたいときに読みたいだけ読める環境にいたいのだ。
だから、はまりそうな予感がしただけで、本は購入してしまう。つうか、手元にないといや(笑)。

読むジャンルは結構多岐に亘っている…が、偏ってもいる(笑)。
好きな文章を基準で読んだり、好きなジャンル基準だったりと、そのときの気分で読むものが全然変わってしまうのだ。
基本的に読むジャンルは、ハードボイルド・ミステリー・オカルト系エッセイ・SF・ファンタジー・ショートショート。
いわゆる名作といわれているものは、ほとんど読まない。
特に純文学とラブストーリーは、ほぼ一切読まない(純文は若干読んだこともあるが)。
性に合わないのだ。おそらくは、それを読んでも空想の世界に飛べないから。
もしくは、読んだところで情景が思い浮かばないから(恋愛ものなんか、完璧にそう)。

本を読むとき、頭の中では映像が浮かんでくる。
その映像が面白いものだったら、その本がツボに入ったということになり、そうでなければ外れということになる。
自分の文章の書くときに通じるのだが、ビジュアル化できる文章が好きなのだ。
たとえ精神論じみたことが書いてあっても、それが頭の中でぽこっと浮かんでくれば、大当たり。
それはエッセイでも同じだが、エッセイを読む場合はちょっと視点が違う。
雑学を仕入れたいときとか、興味がある話題についてだとかになる。

今一番好きな作家は、大沢在昌。有名なところで言うと「新宿鮫」などを書いているハードボイルド作家である。
どうも、殴り合いや銃撃戦や追跡劇が好きなようだ(苦笑)。
自分が書くものも、無駄に肉弾戦が混ぜ込んであることが非常に多い。
……いきなり殴り合ってるシーンが思い浮かんで書き始めるんだもん(爆笑)。
大沢在昌の文章は、読みやすい上に情景が目の前に広がる。
その場にいる感覚すら味わえることも少なくない、私の場合は。
臨場感やその瞬間の主人公の感覚、感情が判りやすいのかもしれない。
キャラの作り方が上手いんだろうなぁ。新宿鮫で言えば、主人公の鮫島のキャラは本気で光ってるし。

エッセイ系では、澁澤龍彦が大好きである。
知ってる人は知っている、マルキ・ド・サド侯爵の訳者であり、フランス文学者。
私は好きなのは、それ以外の一面。オカルト文学の紹介者としての澁澤。
黒魔術系に興味があったり、歴史の黒い部分(笑)が好きな人には必読。

本読むことの何が好きか…知識の蓄積が好き。
雑学が大好きなので、本を読むことで得られる知識というのはたまらないものがある。
興味がいろんなところに点在するから、おのずと読むものも雑多なものになる。
読んだものが全部身になるかといえば、そう言うわけでもないのだが、「読む」という行為が知識を得ることに直結している感覚が好きなようだ。
知識は、学術書を読まなきゃ得られないわけじゃない。
逆に小説や物語から得られるものの方が、きっと自分には合っている気がする。

本を読んでいるときに邪魔をされるのが、一番嫌い。
読んでいるときは、その本の世界の中に入り込んで、勝手に自分で世界を再構築しているから。
その世界があふれたものが、自分の書く文章なんだと思う。
そのとき読んでいたものとは全く違っても、根源的なものが同じなわけだ。
自分の頭の中で世界を作って、それを表に出しているわけだから。

活字を追っていくだけでその風景に遊ぶことが出来る「読書」という趣味は、自分に取ってはお手軽で、しかも必要不可欠なものなのである。

020206