月の話

(自然の話  1)

家の前で原チャリを停め、ふと視線を足元に落とすと、街灯とは違う角度で影が出来ていることがある。
視線を上に移すと、自宅の屋根のすぐ近くに、青白く輝く月が出ている。
月に1週間ほど、そういう蒼い世界に出会うことが出来る。

私は月が大好きである。天体観測するときには「くそう、明るくて邪魔じゃ!」とか思うこともあるが(笑)、空に月が出ている日は気分がいい。
何が好きな理由か…多分、あの静かな光の雰囲気だろう。
陽光とは違い、月の光には一切の熱を感じることは出来ない。
色味といえば、その姿よりもより澄んだ蒼くらい。
その蒼だって、足元に落ちる影をみて初めて気がつくほどのものだ。

月の光は、全て太陽光の反射によるものである。
いじわるなぞなぞで「月に鏡はあるか?」とか言うのもあるが、地表に光が反射しているだけのもの。
(ちなみに答えは「ある」。ボイジャー乗組員がおいていったものが隠れている:笑)
蒼い光に感じるのは、地表が蒼いものだけ反射するから。
空気もなく、水もない表面で、仄かな光だけが可視となる。
その光は優しく、そして信じられないほど冷たく感じる。

地球の衛星である月は、元々地球と一緒の星だったといわれている。
重力は地球の1/6。飛び跳ねたら、オリンピック選手よりも軽々と飛べるとか。
重力が小さいため、大気はほとんどなく、朝と夜の寒暖差が100度近い世界。
自転の関係で、地球から見えている面はずっと同じ顔をしているそうだ。
だから、月の裏側に月面人がいるなんて話は、昔からある。
それはアポロが打ち砕いちゃった感もあるけれど(苦笑)。

夜、何気なく外を歩いてみると、足元の影でひとつだけ色の違うものを見つけることが出来る。
それが月の光による影である。
大抵、街灯が作る影よりも濃く、どれだけ動いても見える位置は変わらない。
そういうときに空を見上げるのが、一番好きな月が見える瞬間でもある。
月齢によってその形はさまざまだが、影があるときは月も空にある。
それは、妙な安心感を与えるとともに、とても怖いものにも思える。

月は、その静かで強大な存在感で、惹きつけてくる。
抵抗する気すら起きないほど、長い間眺めていたくなる。
見ていても、何も変化はしない。ただ、そこにあるだけ。
それでも、月は私を惹きつけて止まない。

月を題材にして文章を書いたことがある。
実は何度もある(笑)。
見てるだけで、いろいろなイメージが膨らみ、それを動かしてみたくなるのだ。
月をネタにした文章は、あまり失敗をしない。
その代わり、とても抽象的になってしまう(この話みたいに:笑)。

子供の頃は、その表面に浮かんでいるウサギさんを一生懸命探すために月を見た。
本当に餅つきをしているように見えるたびに、大喜びをしたものだ。
今、月を見上げる理由は、多分          






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