音楽の話4
(中島みゆき)


私は、女性ボーカルというのはほとんど全滅なほど聴かない。
極端なまでに、女性が歌っている曲というのは好きではない。
そんな中、唯一聴き込むのが、中島みゆきである。

世間では「暗い・ドロドロしてる・怖い」などなど、色々言われているが(笑)、実際に有名な曲以外を聴いたことがある人は少ないのではないだろうか。
確かに、これでもかってほどに暗い曲もあるし、そんなにどろどろしなくてもと思う曲もある。
が、私が好きなところはそこではない。

音楽によって何か救われた、そんな気分になることは一番多いのが、みゆきさんの曲を聴いたときだったりする。
でっかいんだよね、世界観がとてつもなく。
その世界観を表す言葉は実に身近で、日常的にひょっこり使っている言葉を、それが最も映える状態で音に乗せている感じ(判りづらいなぁ:汗)。
全くの赤の他人であっても、その大きさによって救われることだってある。
それを実感できるから好き。

例えば自分がどっかんどっかんにへこんでるとき、普段はそんなに高い頻度で聴かないのに、妙にみゆきさんばかり聴いてしまうことがある。
…そういう時は、まあ危険信号が出てるってことなんだろうけど(苦笑)。
で、聴くと毎回「ああ…何か出たぞ…」と思う。それをきっかけに浮上する。
何が「出た」かはそのときのよってまちまちだが、大抵何かが「出る」(笑)。
そのときの曲はやはり自分が好きだと思ってる曲である。

多分、私はみゆきさんの中にある「世界」が好きなんだろう。
それは恋愛の歌であったりすることも少なくないが、そこには確固たる「自分」へのメッセージがある。
自分自身に対して「頑張れ」と言っていたり「大丈夫」と言っていたり。
誰かに向けてではなく「自分」に言っている言葉ほど、染みやすいものはないのかもしれない。
「この人は、自分に対してこんな姿勢で向き合ってるんだ」と思うことが、浮上させてくれる要因の一つであることは確かだ。

同じように思えないかもしれないけど、それでも何かを助けてくれているように感じる。
過分に自己満足な歌詞もある。「自分」さえそう思ってればいいという表現もある。
そこに含まれるものにどう感じるかは、聴いた人本人の気持ち。
私が聴くと、それは楽にしてくれるだけの包容力のあるものなのだ。

人間だけに留まらず、その世界観は「自然」という身近なもの全てをも内包する。
自然だけではない、人工物だって見方一つで色々なものに見えてくる。
「地上の星」という、最近の曲を知っている人は多いだろう。
空ばかり見上げていたとき、ふと首を上げなくていい高さに星があるということを、私はこの曲で知った。
人間が作り出した灯りに配列を見出し、そこにいくつもの星座を感じることができるのだと。
この曲を聴いてから夜景の写真を見ると、自分だけの星座をいくつも見つけるようになった。
ちょっとした訳があって本物の夜景を見ることに抵抗がある私でも、地上の星たちから何かを手に入れることができるのだ。

何もかもが嫌になったとき、自分自身が駄目になりそうになったとき、中島みゆきを聴く。
壊れかけてたものを修復するか、一度ぶっ壊して造り直すか。
その踏ん切りをつける勇気を、その曲からこっそりと貰うために。
吹っ切れたときに、その包容力と表現力に感謝する。

…たまに…たま〜〜〜に…私自身の表現力のなさを痛感させられて、逆にドツボに入ったりしながら(笑)。

020428